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Our Story
About
仲見世通りの
くらしとまちなみ
sofo cafeのある仲見世通りはいわゆる「シャッター商店街」です。しかし、シャッターを閉めたあともそのまま住み続けている人や、転居してきた人が生活していて、暮らしが息づいています。元はアイスクリームを販売していたショーウィンドウの中で猫が昼寝したり、家庭菜園を育てたり、夕方になればどこからともなくいい匂いがしてきたり、住民同士が顔を合わせれば立ち話……、そんな今の都会では珍しいような暮らしの風景が仲見世には残っています。
人々が徒歩で行きかっていた商店街ならではのヒューマンスケールの街並みがあります。家と家の間の路地を共用の廊下のように行き来し、誰かの飼い猫はご近所同士でかわいがり、もらった野菜を配ったり。実は仲見世通りは、全世帯住所も同じで、最初に引っ越すときは、郵便屋さんがちょっと困るけど、色々なものを共有して暮らしということは、当たり前に日常にある風景となっているのです。 私たちは、そんな古くて新しい仲見世を守り伝えたいと思い、活動をしています。


About
0店舗の商店街に
明かりを灯す
仲見世通りは度重なる津波からの復興を祈念して建てられた「釜石大観音」の足元にあります。30年ほど前には20店舗以上が並んでいた商店街も、徐々に営業しているお店が減り、2017年12月に、稼働店舗は「0」となってしまいました。(※詳細は下記のHistoryをご参照ください。)
市内外問わず多くの方が仲見世で時間を過ごし、新たな人の流れを生み出すことを通じて、この仲見世通りの再興につなげていきたいと考えています。その第一歩が、このsofo cafeです。日常の少し豊かな時間となるように過ごしていただければ幸いです。「はじめにいくところ・いつもいるところ」そのような場所になれるように日々一つずつ丁寧にコーヒーやランチを提供しております。
※冒頭の写真で印象的な赤土色=赭色(そほいろ)の屋根。商店街ができたときの想いを残すべく、この屋根の色から名前をとっています。


History
釜石大観音建立
仲見世の繁栄と衰退
釜石では「観音様」と呼ばれ親しまれている釜石大観音は、繰り返し地域を襲う大津波や海難事故などの犠牲者を悼み、1970(昭和45)年に建立されました。その足元に軒を連ねる釜石大観音仲見世通りは赤茶色の瓦屋根がシンボル。大観音を建立した石応禅寺の関係者が土地を買い取り分譲したことで、統一感のある門前町が誕生し、昭和50年代には20以上の飲食店やおみやげ屋さんが繁盛したといいます。
平成の初め1989年には釜石の主要産業だった製鉄の高炉の火が消えました。かつて岩手県内で、盛岡に次ぐ人口で栄えていた釜石の人口減少は加速。大観音参拝と大食堂利用のために乗りつけていた観光大型バスも徐々に少なくなり、2015年ごろには3店舗ほどまでに減りました。それでも営業をしていたものの、とうとう2017年12月に稼働店舗は0となりました。
